かまくら本

 週末、久しぶりに鎌倉に行きました。
 雨上がりの緑が目にやさしく、空気もきれいで、すがすがしい気持ちになれました。梅や菜の花、水仙などもきれいでした。
 ふだんの住まいは、箱根駅伝の沿道、つまり国道のすぐ近くですので、車の音、コンクリートに囲まれています。
 鎌倉で土や緑や花に触れると、やはり時には、魂の洗濯をしないとなあ。。。と思います。


 鶴岡八幡宮の脇に横浜国立大学附属小・中(略称カマフ)があり、その脇を山の方に向かって進んでいくと、来迎寺というお寺があります。ここを訪れたいと思ったのは、鎌倉ゆかりの永井路子さんの『わが町わが旅』を読んだからでした。ここに安置されている仏像の美しさもさることながら、入口の脇にある「太平寺跡」という碑に触発された永井さんの文章が、さすが見事な、読みごたえのあるものだったのです。太平寺というのは尼寺だったのですが、そこに秘められた歴史ドラマは、胸を打ちます。そこらのガイドブック代わりの紀行文とはまるで違います。ご興味のある方はぜひご一読を!


 鎌倉にまつわる本を見かけると思わず買ってしまうのですが、大同小異、最後まで読んだことはあまりありませんでした。
 しかし、今回たまたま読んだ『<古都>鎌倉案内』(加藤理氏、洋泉社y新書)は非常に面白かったです。いわば、<古都鎌倉>の誕生、現在の鎌倉は中世そのままではなく、近代以降、再発見・再創出されたもの、という、言われてみればたしかにその通りなのだけれど、言われるまでは気付かなかった、コロンブスの卵、目ウロコの内容でした。
 特に驚いたのは、「鶴岡八幡宮」は明治の産物だということ。それまでは、神仏習合、「鶴岡八幡宮寺」だったのだそうです。ところが、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、わずか2週間で壮大な伽藍や塔など、仏教関係のものは破壊し尽され、切り落とされた仏像の頭部がゴロゴロころがっていたのだそうです。チベットを訪れた時、文革で切り落とされた頭部のない仏像が並んでいたのを思い出しました。
 鎌倉に至る横須賀線も、日清戦争の軍用鉄道として敷設されたため、円覚寺の境内を分断し、段葛の二の鳥居から海寄りをつぶし、軍事最優先で作られたものなのだそうです。横須賀線沿線に育った私にとって、これはかなりショックでした。

 好天に恵まれた週末のためか、まだシーズンオフというのに、観光客が結構訪れていました。世界遺産になったら、より一層混雑してしまう。。。鎌倉の良さをもっとアピールしたいような、もう少し静かであってほしいような、複雑な気持ちです。