広場にバラの花を

 スクの補足は1回休み。今日の話題は、国際的に広く知られる人権団体の呼びかけからタイトルを取りました。この団体のHPにアクセスすれば、どなたでも、バラの花を手向けることができます。

http://www.amnesty.or.jp/

 日本では舞台となった広場の名から「T事件」と呼ばれていますが、現地では日付が事件の名前となっています。その日付は、明日です。自由と民主化のシンボルの女神像が無残に破壊された日です。軍隊が自国の国民に武器を向けた日です。

 その年の8月、翌年の7月からその国の或る大学に日本語教師として派遣されることが決まりました。そんな国の国づくりのサポートなんて。。。という気持ちが、正直、よぎりました。でも、国家と人とは別ですよね。行くことにしました。人々の心があの事件でどうなってしまったか、気がかりでもありました。

 その国では新学年は9月に始まります。私が担当したのは2年生。事件の時には大学入学前で、事件にかかわっていたのは3年生以上でした。東北の地方都市でも中心部の広場では集会が開かれ、また、夜汽車に乗って首都のT広場に駆けつけた学生も多かったと聞きました。私の前任者は、運動の高まりを伝えるNHKの国際放送(ラジオ)を教材に使ったところ、大学側からクレームが即届いたということです。

 真偽のほどはさだかではありませんが、各クラスには必ず党の青年部のエリートが配置され、教員や学生の言動を逐一報告している、と聞きました。それ以外でも、不穏な言動があると、いつ誰が報告しても不思議ではない、むしろそれが奨励されていました。だから、学生たちは誰にも、友人にさえ、心を開けなくなっていました。外国人の私なら安心だ、ということで、授業は担当していない3年生で、運動に参加した学生が、時々、話をしに来ました。いつも1人ずつでした。かつてともに参加した者どうしでも、信頼できない状況に追い込まれていたのでした。

 就職は、本人の適性や能力を考慮し、国家/党が決定します。本人の希望ではありません。上層部に目をつけられれば僻地の厳しい職場に追いやられます。

 私がそこに滞在したのはわずか2年。あの時の学生たちは今どうしているのでしょう。あの事件からもう、明日で20年になります。。。