こくせき

 オリンピックの終盤はフィリピンに行っていたので見ていませんが、出発前に見るともなく見ていて、思ったことは、「●●じん」という概念についてです。

 法律上は、「日本人」とは「日本国籍」を有する人のこと、と明記されています。
 しかし、「両親が日本人でアメリカ国籍を取った選手」や「日本出身でロシア国籍を取った選手」は、日本は二重国籍を認めていないのですでに日本国籍から離脱しているはず。従って法律の言う「日本人」ではないのですが、テレビ中継では、「日本人選手」として紹介されていました。逆に、小さな扱いだったので殆ど気付かれていないようですが、「日本国籍を取ったアメリカ人選手」も紹介されていました。


 国籍がどうであれ、顔立ちが「日本人」的であれば「日本人」、そうでなければ「外国人」と表現されているように思いました。日本在住の外国につながる子どもも、きっと、そうなのだろうな、と思います。外国につながる子どもたちは、日本の学校で、苛酷なイジメを殆ど全員が経験しているということです。なぜなのでしょう? 均質化・同化を強制する学校管理教育の息苦しさの腹いせでしょうか。自分も苦しいことを自分より弱い立場の者に向けて苦しめる。とても悲しいことだと思います。


 オリンピックを見て、「日本人」選手がメダルを取っても、そう素直に喜べないものを感じないわけにはいきませんでした。