ヒロシマ

 遅すぎるとか、公式コメントがないとか、言い出せばキリはないように思います。立場とか面子とかいろいろある中、初めて出席した、その意義を評価したいと思います。一歩一歩、少しずつ。小さいけれど、貴重な一歩であると思います。


 高校につとめていた時、修学旅行で広島を訪れ、1番ショックを受けていたのはアメリカからの留学生でした。見るも哀れなほど落ち込み、アメリカはこんなひどいことをした。。。それなのに日本の人たちは僕に親切にしてくれる。。。なぜ。。。と涙ぐんでいました。


 中国にいた時、柳条湖事件の跡地の九・一八記念館に行きました。撫順郊外の平頂山事件の記念館にも行きました。ハルピン郊外の七三一部隊の記念館にも行きました。いずれも、日本人による残虐な殺害行為が展示されています。館内の中国人たちは、日本人が来てくれて、見てくれてうれしい、と言ってくれました。


 でも、南京の記念館には行けませんでした。日本人を見る目が他所より格段に厳しく辛いと聞いていたからです。本当は目を上げて見に行くべきだったのでしょうが、その勇気はありませんでした。


 国や民族を代表しているわけではないのに、辛く重い気持ちになります。ましてや、代表する立場の人が参列したことの意味は、並大抵ではないと思います。これが歴史の転換点となり、本当に、平和な世界が築かれればいいと、心から思います。