先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし

 世の中に「先生」と呼ばれる職業はあまたあります。医師、弁護士、弁理士、国会議員、そして教師。。。


 他の職業についてはわかりませんが、教師どうしが「先生」と呼び合うことについて皆さんはいかが思われますか? 生徒・学生の前とかではなく、自分たちしかいないような場面においてです。


 大学を卒業してすぐ高校に就職したころは、22歳の小娘で、他の教員は自分の高校時代の先生たちと同じような年齢(初任と高3は5歳しか違いません)で、自分が他の教員を「先生」と呼び、他の教員からは「さん」で呼ばれることに何の違和感も(自分では)ありませんでした。世間には、教員どうしが「先生」と呼び合うことへの違和感があることは承知していましたが。。。


 しかし、だんだん年月が経ち、いつのまにか若い教員からは「先生」と呼ばれるようになっていきました。教員どうしなのだから「さん」と言ってくれ、と言えばよかったと、今になれば思います。当時は、自分が相手をさて何と呼ぼうかに気をとられ、結局「先生」の相互使用になっていました。居心地の悪さを感じつつ。。。


 大学院に入り、学生に戻り、解放感をのびのび味わいましたが、そのごく小さな一つに、呼称問題からの解放がありました。自分より若かろうが何だろうが、「先生」は「先生」で、何の問題もありませんでした。


 さて、今再び、学生を終え、大学教員の最末端に位置するようになり、再び居心地の悪さを感じています。「先生」と「さん」の線引きをどこで行うか。それを観察していると、人により、人のランキングはさまざまで面白いところがあります。私は、大学教員というヒエラルキーの中では最末端の非常勤講師で、年齢も実際よりは若く見えるらしく、「さん」に分類されることが多いのですが、実年齢がばれたり、文句なく「先生」と呼ばれる人たちと元同級生、といったことがばれたりすると、それまでの「さん」から「先生」に変える人たちもいます。それはそれで、この人にとってはそのへんが境界線なのだな、と勉強(?)になります。


 そして、この視線は、自分にもはね返ってきます。ある人を「先生」と呼び、ある人を「さん」で呼ぶ。自分は何を基準にどこで線を引いているのだろう。。。正直なところ、しみじみ、面倒でうんざりしているこの頃です。