新年のごあいさつ

 明けましておめでとうございます


 昨年末は、バタバタで、すっかりご無沙汰のまま越年してしまいました。今年は、そのような言い訳をせず、少しずつでも、書いていきたいと思っております。何卒お見捨てなく、よろしくお願い致します。


 「自業自得」「因果応報」という言葉は以前からありましたが、比較的新しい言葉に「自己責任」という言葉があると思います。この言葉が世の中で闊歩し始めたのは、イラクで日本の若者3人が人質になった時で、本人・家族たちへの非難に使われました。以後、この言葉は市民権を得たようで、いろんなところで、さしたる違和感なく、使われていると思います。


 生活苦を「自己責任」と言って放置していいなら、行政は何のためにあるのか・・・学生の学業不振も「自己責任」と言って、何もケアしないでいいなら、教師は何のためにいるのか・・・。
 人生、いい時ばかりでなく、苦しい時、不調の時は必ずあります。そういう時、好調の波にのって余裕がある人がほんのすこし手をさしのべても、不公平だの不平等だの目くじらたてなくてもいいのではないでしょうか。今好調な人も、いつか不調の時がくる、その時誰かに手をさしのべてもらえばおあいこなのではないでしょうか。厳密に助けてくれたその当人にお返しをしなくても、まわりまわって、もちつもたれつ、お互い様・・・こういう考え方は、競争原理社会では「甘い」と歯牙にもかけられないのが現実のようですが。。。


 読書傾向は、つい、自分と似たような考え方のものを読むことが多く、我が意を得たり、と、さらに自分の考え方がその方向に強化されていくのですが、「自己責任」についても、カヤマリカさんが違和感を書いている岩波新書があって、これは好きになれない言葉であたりまえのように思っていたのですが、そうではないことを思い知るこの頃です。中高年向きに英語をやり直せるよ、という本が巷に山ほどありますが、その中の1冊で「自己責任」で「競争原理」のアメリカ社会をひじょうに肯定的に描いているものがあり、そうか、こういう考え方が今の社会では多数派で、私は少数派なんだな、と本題と違うところで印象深い1冊でした。
 教員ミーティングでも、「学生の自己責任」という言葉で何でも片がつけられる雰囲気で、「自己責任」は自明の価値観として通用しているようで、学期末を前に、実は気の重い年明けなのでした。。。


 同様の言葉に「グローバル化」とか「産学共同」などがあります。某社日本語教育事典の原稿締切間近なのですが、言語政策・日本語教育政策・留学生政策の項目を書いていると、世の中はこちらの方向に進んでいるのだなあ、と思い知らされます。


 次回は明るいネタを用意したいと思います。ごめんなさい!