ショーワレトロ

 60年以上の長いこの時代のすべてを知っている人はもはや全人口のうちわずかとなり、
ブームといっても30〜40年代とか。
高度経済成長に沸き、科学と経済の進歩を無邪気に信じていられた、古き良き時代。
私の幼少期でもあります。


 新宿の新国立劇場で、このころの在日コリアンの生活を描いた芝居を見てきました。
舞台は、貧しい、バラックというか長屋というか。
最初見た時、戦後すぐじゃあるまいし(といっても戦後すぐを直接知っているわけではありませんが)、
一億総中流にはまだ時間があるにしても、
コリアンの人々が苦労したとはいえ、一目見てこんな貧しい住居の集まっているところなんて・・・
と思ったとたん、はっと思い出しました。
当時住んでいた社宅は、現在の新国と程遠からぬ、S区H町。
その社宅からS区立H町東小学校へ行く道に、大きな道沿いの正規の通学路と、
近道だけれどこんなふうな、たえず水がちょろちょろ流れ、
低い屋根の下ではお婆さんが子守りをしながら外を行く人を眺めている狭い小路がありました。
あたりとは明らかに違う雰囲気や空気、匂い。
その近道を通ってはいけないとは、学校にも親にも言われませんでしたが、
個人のお宅のすぐそばを通るのだから、
大声で騒いだり家の中をのぞいたりといったことをしないよう注意された記憶はありました。
もしかしたら、あそこも、そういった集落だったのでしょうか・・・?


 新幹線開通やら大阪万博やら、華やかな日本の経済発展の裏側で
立ち退きを迫られ家屋を破壊される登場人物たち。
その時代背景とともに、表面的には両親と子ども二人の「標準家族」だったけれど、
中ではいろんな出来事があった幼少期が重なって胸の中を渦巻き、
苦しくてたまりませんでした。
 リヤカーにわずかな家財道具を積んであてもなく出発する時、
桜の花びらの降りしきる中、アボジ(父)が言いました。

「こんな日は明日を信じられる。たとえ昨日がどんな日でも。明日はきっといい日だ」

これを、さんざん辛酸をなめたアボジが言えるということ。
昨日は「たとえ」ではなく実際に大変悲惨だったのに。
私なんてまだまだこのアボジより辛い思いをしていなくて、
辛い思いをした時間は短くて、
だから明日を信じられるはず。
気付いたらボーボー私は泣いていました。


 幼少期には、まだまだ在日コリアンへの差別は現在よりもっと強く、
こんなふうに演じられる日が来るなんて、時代は変わったな、と思います。
露骨な弱肉強食の能力主義・競争原理やら、
お上による管理強化や人々のその内面化やら、
何事につけ余裕がかつてよりなくなりギスギスしていって、
悲しい方向に変わっていってもいるけれど、
良い方向にも変わってきている、
こうして紆余曲折を経ながら、一歩ずつ、人も社会も、
少しずつ良い方向に進んで行けたら。。。と思いました。

http://performingarts.jp/J/play/0806/1.html