クニというかいぶつ

 さまざまな議論がある問題については、どれか1つの意見のみを紹介するのではなく、代表的なものを均等に取り上げ紹介する、というのが、実態はともあれタテマエとしての、報道や教育の「中立」というものではなかったのでしょうか?


 9月の3連休、脱げんぱつスタディツアーに福井へ行きました。敦賀、美浜、もんじゅ、大飯を見学してきました。げんぱつについて賛否両論あるのは明らかなのに、学校の遠足でPR館に行っているということです。福島のげんぱつで電気を作っていたのは東北電力ではなく東京電力ですが、福井のげんぱつで電気を作っているのも北陸電力ではなく関西電力、まるで同じ構図です。


 I氏がポケットマネーで土地を購入するのなら勝手ですが、彼の短絡的発想によるパフォーマンスがこんな事態をひきおこしています。そもそも「領土」とか「国民」というのは近代になって発明された装置にすぎない、というのは、アンダーソンの『想像の共同体』などに説かれている通り、常識に属す事柄です。古代のローマ帝国フランク王国大和朝廷などの版図には明確な国境線なんてひかれていないのですから。「固有」とはどういう意味なのか、誰もその意味を明確にしないままテレビは連呼しています。日ごろの政治や社会の分析・評論ではなかなかいいこと言うなあ、と思っていた人たちも、「我が国固有の領土であることは当然として」、しかし何とかできないか、という発言ばかりです。もともとどっちの領土でもないんだよ〜、なんて言ったら「非国民」扱いなのでしょうか。言論や思想の自由なんて、「国策」の前では吹けば飛ぶようなものだったのですね。なさけないです。


 げんぱつの立地地元でも、住民が寝耳に水で知らされた時には、首長やら議会やらはすっかりもうかためられていたそうです。我が家の前の国道拡張工事の時もそうでした。町内会の役員たちは建設省(当時)にたくさんお土産をもらい、工事を承諾していました。我が家が疑問の声を上げると、国道事務所のお役人が手土産を持っていきなり自宅にやって来ました。


 おそろしい。。。なさけない。。。

ニッポンの国境 (光文社新書)

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