浅草歌舞伎

 浅草歌舞伎を見に行って来ました。これまでの観劇歴(拙いものですが)の中で、一、二を争う面白さでした。お正月ということもあり、おめでたく、賑やかで、舞台も衣装も絢爛豪華、心から楽しめるものでした。古典芸能とか伝統とかいうと途端に面白くなくなりますが、江戸の庶民が愛好した気持ちがよく分かります(だから、私は、歌舞伎は国立劇場ではなく、歌舞伎座や浅草で見るのが好きです。客席で飲食可というところにもその気楽さが表れていると思います)。
 最初の演目『金閣寺』は、今回初めて知ったのですが、これが特に傑作でした。松永大膳なる悪者が天下をうかがい金閣寺にたてこもっています。それで、雪姫なる美女を捕らえて、桜の木に縛り付けるのですが、桜吹雪が足元に舞い、雪姫は涙を墨の代わりとして花びらでネズミの絵を描きます。すると、祖父の雪舟の言い伝えと同様、絵のネズミが本物となり、縄をかじってくれたため、雪姫は脱出に成功、大膳の命令によって処刑されようとしている夫の救出に向かうのでした。
 近代フェミニズムは、白雪姫やシンデレラなど王子様に助けてもらう、旧来の受身のお姫様像を批判していますが、近代以前、庶民の文化にはこのように、自力で危機を脱出して男性を助けるたくましい女性像が少なくありません。中世の説教節の『小栗判官』の照手姫もその1人。変わり果てた姿となった夫を救うため、夫を乗せた荷車をひき熊野に向かいます。この作品は、横浜ボートシアターの仮面劇としても上演されています。必見!
 江戸幕府が、芝居にいろいろ制約を課したことは知られていますが、それにしても、小田春永(おだ・はるなが)だの、此下東吉(このした・とうきち)だの、この程度に名前を変えるだけでOKなんて、それでは何のための禁制なのか、この大らかさというかいい加減さも好きだなあ。
 ちなみに、もう一つの演目は、有名な「お富・与三郎」だったのですが、元カレの与三郎が突然お富のもとを訪れ恨み言を言ってすごむ、現実だったら泥沼以外の展開は考えられないと思うのですが、お富の旦那が実兄だったと3年も黙っていて突然のカミング・アウト、お富と与三郎はめでたくよりを戻してあれよあれよというまにハッピーエンド。こんな筋立てとは知りませんでした。
 そんなこんなで、歌舞伎の面白さ(の一端)を、堪能できた一日でした。