弱者の権利

 障害者教育の研究会に行ってきました。色々興味深い発表を聞くことができました。
 一つは、知的障害者参政権をめぐる報告。どうせ分からないだろうとまわりの所謂健常者が決め付けてしまうことの恐ろしさ。適切な助言により、ハンディを持つ方たちも、自分で判断し、意志表示ができるのだということ。しかし、現行制度にはまだまだ不備な点があることも思い知らされました。現在の投票制度は記名方式ですが、候補者の名が示してあってそこから選ぶ方式なら、文字の書けない人であっても代理投票の制度に頼らなくても自分で投票できること。候補者の名だけでは判断しにくい場合には、顔写真あるいはシンボル・マークのようなものがあれば、自分の投票したい人は誰なのか、もっと示しやすくなること。保護者に先立たれてしまったあとは、成年後見人がつくのだそうですが、そうすると、選挙権も剥奪されてしまうこと。禁治産者扱いで、財産管理にしろ選挙にしろ判断能力無しというレッテルを貼られるのだそうです。社会の色々な仕組み、まだまだ、気づかないこと・考えなければならないことの多さに考え込まされました。でも、いい勉強になったと思います。
 もう一つの発表は、就労、つまり企業への就職を目標にした指導の実践報告でした。企業のニーズにこたえられるよう、低コスト・高生産性を実現するため、マニュアル通り・指示通り黙々と単純作業を何時間もこなすことのできる従順な身体・精神作り。昨今の教育現場で巧みに覆い隠されている、しかし着実に進行している動きが、何のてらいもなく正しいこととして表に出され遂行されている姿に、うそ寒いおそろしさを覚えました。
 全体講演は、小森陽一氏。『漱石をよみなおす』(ちくま新書)、『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店)などの著書があります。特に後者は、日本語について、言葉について、考えるにあたり、必読の名著であると思います。この日の講演は、そういった文学や言語のみならず、歴史や社会、政治にも踏み込む、熱のこもった心打たれる講演でした。
 朝から一日中、講演・発表を聞いているのは結構疲れましたが、知らない世界に目を開かれる、良い一日でした。
 今日は、朝から雪が舞っています(夜から?)。大きな混乱とか事故とかないといいな、と思います。