日本語教育の二極分化

 これまで何度か雪の予報が出ていましたが、たいしたことなかったので、たかをくくっていたら、昨日の雪は結構なものでしたね。。。我が家の近くの国道(箱根駅伝の舞台)は、朝から大渋滞しています。
 さて、先日削除してしまった内容の、覚えている後半部分を、もう一度書いてみたいと思います。
 日本語教育とは何ぞや。大学のエリート留学生対象の「アカデミック・ジャパニーズ」なるものと、就労や生活(結婚など)目的の滞日者対象の「生活日本語」なるものとの、二極分化の方向が、昨今ますます加速されていると、かねがね思っていたところ、更にこの傾向を推進するようなニュースが二つ、とびこんできました。
 一つは、「留学生30万人計画」。80年代の10万人計画によって、多くの大学に留学生センターや日本語教育の専攻が作られました。今度は、その3倍です。
 もう一つは、就労・生活目的の滞日者には、日本への入国前に、ある程度以上の日本語力を義務づけるという案。不法滞在者や滞日外国人にまつわるトラブルを減らすための対策であろうと思われますし、所謂日本国民は結構賛成するのではないかと思われますが、産業構造・労働市場構造・経済構造をどの程度考慮して立てられた案であるのか、案じられます。
 前者の、国策として招かれる留学生は、もちろん、日本語ゼロの状態で来日できます。そして、留学生センターで1年間集中的に質の高い授業を受け、日本の大学で学ぶことが可能な日本語力を身につけることができます。それが、留学生たちの、出身国の良い意味での発展につながるのなら、喜んで応援したいと思っています。
 しかし、気になっているのは、後者がないがしろに、というか、厄介もの扱いされていること。後者への日本語教育日本語教育と見なされていないかのような風潮。
 これについては、また、不定期・不連続シリーズで、書きついでいきたいと思っています。