チベット

 私がラサを訪れたのは、もう、15、6年も前になるでしょうか。北から陸路という格安コースもあるにはあったのですが、かなりの強行軍なので、成都から空路という無難で一般的なコースをとりました。成都で旅行社に申込み、ガイドをつけてもらわなければならず、外国人料金で割高なのですが、背に腹はかえられず。
 日本語のガイドを頼んだはずなのに、現地で出迎えてくれたのは英語のガイドさんでした。20代くらいの若者でした。彼が、ある時、ぽつりと言いました。「あなたたちはいい、日本人で、日本のパスポートが持てるのだから。」インドで英語を学んだという彼ですが、パスポートがどこのものなのか、結局、言いませんでした。彼の口からは、一言の中国語も出ませんでした。
 人々は、貧しく、しかし、敬虔に祈りを捧げていました。寒く、空気も薄く、高山病で頭痛に悩まされ、食べ物も正直言ってあまり口に合わず、独特の強烈なにおいが充満していましたが、忘れられない、鮮烈な印象を与えてくれた数日間でした。
 当時から、漢族の入植がどんどん進められていました。パレスチナにおけるイスラエル人入植のように。北海道への日本人入植のように。こうして、あとから入ってきた者たちが数の上で先住民族を圧倒しよう、というのでしょう。インドに亡命したダライ・ラマにかえ、北京政府が擁立したダライ・ラマは、高山病に苦しみ、ほうほうのていで低地に戻って行ったと聞きました。寺院には、文革の時に無残にも切り落とされた仏像の頭部がたくさん転がっていました。
 動乱のニュースに、心の痛む日々を過ごしています。