言葉の間違いをめぐって

 ついこの間までツツジが咲き誇っていたと思ったら,いつの間にかもうアジサイの季節になっていました。


 スクーリング以来,「ら抜き言葉」をやはり意識的に使わないよう心掛けています。でも,油断すると,つい口から出て来てしまいます。先日,某大学准教授からのメールに「抜けれない」とあり,くらっときました。名誉のため,この方の専攻は言語学・日本語学ではありませんが・・・。


 言葉遣いが間違っているとか乱れているとか思わず,大らかに,言葉は常に変化するものなのだから,そのさまを客観的に観察・記述しよう,と多くの本に書いてあり,私自身もそのようにお話しています。「ら抜き言葉」については,私は,随分寛大になっていると思います。結構いい年をした大人が使っていても,ここまで浸透したか,やはりこれは必然的流れである,と確認の思いをあらたにする程度です。


 しかし,もう一つの現代日本語の大きな変化である,「敬語の衰退」。見るからに若いマニュアル店員に「しばらくお待ちしてください」と言われるのは,まあ,もう,耐えましょう。しかし,テレビなどで,それなりの年齢且つそれなりの学歴のタレントが,「お父さん」「お母さん」を濫発すると,ついつい,コトバオバサンの表情は険しくなります。

 ギュスターブと鎌倉に行った時,東京・町田市の小学校6年生が遠足に来ていて,ギュスターブと話がはずみました。アフリカにどんな国があるか知っている?という質問には,結構多くの国の名が挙がり,ベナンはナイジェリアの西隣というと,地面に地図を書いて正確な位置を示していました。その他,地下資源や貧困,人種差別などについても,活発に質問していました。どこかの附属のエリート小学校ではなく,ごく普通の公立小学校の子供たちが,こんなに色々アフリカについてとっさに語ってくれたことは,嬉しい驚きでした。その中の一人が,「父」「母」と言っていたことも,子供たちに対するオバサンの満足度をアップさせました。


 身なりや所持品等の見た目で人を判断しては良くない,と,よく言います。大切なのは,外見でなく,中身だ,と。しかし,言葉遣いで人を判断することもよくあります。現代語文法教科書p174に,「ことばづかいは最良の化粧法」とありますが,上品な・きれいな・正しい言葉遣いができる人は,ちゃんとした人,教養のある人,というプラスの評価を受けられます。特に,その尺度としてよく利用されるのが,「敬語が正しく使えるか否か」です。敬語は,「人間関係の潤滑油」として機能するのがあるべき姿と思うのですが,現在ではその機能より,人のランク付けに使われるケースのほうが多いように思います。。。