そうぞうのきょうどうたい

 ブリーフケースに2つアップしました。「秀作選」と「国語元年」です。最終時にまとめていただいたものの中から、いくつか選ばせていただきました。私の説明不足だった点を、見事にフォローしてくださっているものが多く、助かります。皆さん、ぜひ御覧ください。

 明治の「国語」「標準語」誕生の経緯については、いろいろな研究書が出ている昨今ですが、その思想的背景となる名著は、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(白石さや・白石隆訳)です。近代国民国家は、さまざまな装置を用いて、「国民」「国家」という「想像上の共同体」を創り出していったわけです。教育制度や言語の統一もその1つです。それまで、共同体と言えば、地縁・血縁などで結びついた可視的なものだったのですが、直接目で見えない多くの人々との結びつきを想像させるには、統一的シンボルがさまざまに必要だったわけです。歌とか、旗とか、暦とか、神話・伝説とか、英雄とか。そして現在、テレビも、ナショナルな時空間の形成に大きな影響力を発揮しています。言わずもがな、スポーツの祭典・オリンピックも。もちろん、これは日本だけのことではありません。

 アンダーソンは、インドネシア政治の専門家で、訳者の白石夫妻もインドネシア研究者です。インドネシア語では、「私」は“saya”と言います。修飾語は被修飾語のあとに来ます。「名前」は、“nama”です。だから、「私の名前はケイコです」は、“Nama saya Keiko(ナマ・サヤ・ケイコ)”となります。白石さや先生は自己紹介なさる時、“Nama saya Saya(ナマ・サヤ・サヤ)”とおっしゃることになるわけですよね。以前、ちらりと講義にもぐり込んだことがあるのですが、まさか、こんなどうでもいいことは質問できませんでした。。。