ぼらんてぃあ

 カタカナ語シリーズ第3弾で失礼します。。。

 英語の“volunteer”とは、強制や義務ではなく、「自発的に」何かをする人、というのが原義です。だから、「ボランティア」の必修科目化は矛盾しています。「ボランティア」は、「苦役」ではありません。

 日本語の「ボランティア」には、プラス、「無償」というイメージが付加されています。謝礼や報酬を受け取るのはボランティア精神に反しているように受け取られがちです。でも、元々の「ボランティア」の意には、「無償」は含まれていません。企業の経済活動とは異なり、営利追求が目的ではないことはその通りなのですが、一銭も受け取ってはいけないかというと、必ずしもそうではないと思います。なぜなら、ボランティアに携わる人々も、生活のためにはお金が必要だからです。

 寄付や募金について、全額貧しい人々とか被災者に行くのでなければ寄付しない、日本のボランティア団体が何%か取るなら募金しない、という声をよく耳にします。でも、支援には経費が必要です。送金や両替には手数料がかかります。物資の輸送には送料がかかります。現地の実情を把握してくるためには旅費などがかかります。政府とか企業とか国連とか、資金を出してくれるスポンサーがバックについている団体なら、寄付や募金は全額支援にまわせますが、もうお察しとは思いますが、そういう場合はスポンサーの意向から自由に行動できるとは限りません。そういうしがらみから脱出し、自分たちの判断で決定・行動しようとするなら、そういうもろもろの事務的経費・運営費が必要になるわけです。事務所を借りる家賃やら、電話代やら。問合せに対応したり、お金を管理したりする、専従スタッフがどうしても必要になります。スタッフにも生活がありますから、有給でそれらの仕事をやってもらうことになります。無給の場合は、別の仕事で生計をたてていかなければなりませんから、活動できるのは平日夜と土日だけに限られてしまいます。誰も責任をもって、ボランティア活動を運営していくことができなくなってしまうのです。

 もちろん、有給といっても雀の涙ですし、大き目のNGOでも有給スタッフが複数名いるところはわずかです。大半の無給スタッフは持ち出しです。労働の対価としての報酬とは無関係なところが、ボランティア活動の喜びであり醍醐味であるのですが、きれいごとばかりではうまくいかないのがつらいところです。