じぇんだー

 7月からこの暑さでは、8月が思いやられます。。。昨夜の雷雨で、今日は幾分しのぎやすく、ほっと一息つきましたが。。。
 各地で被害も出ているようです。
 夏季スクーリングも始まりました。
 皆さん、お変わりないでしょうか?


 カタカナ語シリーズ第4弾です。
 ジェンダーとは、社会的・文化的な性差です。


 子供の頃、私は、ケーキ屋さんとかお花屋さんとかお嫁さんとか、いわゆる女の子が憧れるものに、大きくなったらなりたいと思ったことがありませんでした。
 不器用で、体育も図工も苦手でしたが、最もヒサンなのは家庭科でした。調理実習はグループでやるから、私は食器洗い専門で、でも美味しい食事にありつくことができました。でも、被服は個人種目なので、どうしようもありませんでした。女の子で家庭科ができないと、全人格を否定されるような時代でした。


 アフリカからのギュスターブと、学校訪問に行った時のことです。トイレの入口に、「男子」「女子」と漢字で書かれ、それぞれに水色とピンクのカーテンがかかっていました。私たちの進行方向から正面にあったのはピンクのカーテンでした。ギュスターブは、何の迷いもなく、ピンクのカーテンに手をのばしかけました。慌てて、後方の水色のカーテンを彼に示しました。ピンク=女性、というのは、必ずしも普遍的な約束事ではないのかもしれない、と、その時思いました。


 ペアでマグカップや服やタオルなどをいただくと、たいてい、ブルー系とピンク系の組合わせになっています。我が家では二人ともピンクが好きなので、争奪戦になりますが、ピンクを着た夫の可愛い姿に、つい譲ってしまいます。(だって、茶色とかだと、いかにもオジサン然としてしまうんだもの。。。)


 ジェンダーというと、ヒステリックに男女同権を叫び、全男性を敵視して、、、というイメージが強烈過ぎて、よほどの信念がないと、関心を持っている、とは言いにくい気にさせられています。でも、社会的・文化的に作られた、言われなき「男らしさ」「女らしさ」の押し付けは、やはり生きにくい、と思います。
 光源氏は、よく泣きます。男は泣かないもの、というのは、のちの時代に作られた「男らしさ」の規範です。
 各人が、その人らしく生きられる社会が、やはり、いいなあ、と思います。