油断大敵

 風邪もまたよし、なんて油断していたら、やけに今回の風邪はあっさり治ったな、なんて満足していたら、箱根駅伝の優勝に狂喜乱舞していたら、お風呂あがりに何か寒いな、とか思っているうち湯冷めして、そのすきを逃さず再び風邪の毒牙にかかってしまい、あっけなくダウン。。。ナサケナイ新年のスタートです。1週間、棒にふってしまいました。メールやコメントをいただいた皆さん、申し訳ありません。


 そうこういううちに『日本語が亡びるとき』、読み終えました。うーん。重い問いかけを迫ります。特に最終章。英語が「普遍語」という特別な地位を得ているのが明白な今日において、日本語話者である私たちはいかなる道を選ぶべきなのでしょうか? ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』と併読して考えるべき名著であると思われます。
 「国民国家」創設による「国語」の創出が、それによる「国民文学」の達成が、歴史的なさまざまな条件のもとにいかにして可能となったのか、その奇跡ともいうべき実現の道筋には、感銘を受けずにはいられません。
 では、この先は? 日本語は本当に「読まれるべき言葉」ではなくなっていくのでしょうか? 若い世代に日本近代文学のシャワーを浴びせる教育を行えば、日本語の亡びをくいとめられるのでしょうか? 全国民バイリンガル化という不可能な夢は諦め、一部の真に有能なバイリンガルの育成に国力を注ぐべきなのでしょうか?


 現在使っている言葉が歴史の中の一瞬の姿でしかないことは承知しているつもりでしたが、あらためて、これから進むべき道筋をどちらに見定めればよいか、考えられていないことに、愕然としています。過去の達成を跡付けるのはたいして困難ではありません。問題は、そこから何を学び取るか、今後どのように生かしていくか、です。