逆上がり

 なせばなる、一生懸命頑張ればできないことはない、という言葉をよく聞きます。でも、これがいつも本当というわけではないことも、皆うすうす知っています。このようであったらなあ、という美しい理想と、そうはいかない現実の辛さのギャップを知ることで、子供は大人になってゆくのかもしれません。


 私が、どんなに頑張ってもできないことはある、と悟ったのは、小学校4年生の頃だったと思います。どんくさい私は、逆上がりができませんでした。最初は他にもできない子は大勢いたのですが、1人でき、2人できるようになっていき、とうとうクラスの女子で、私ともう1人の女の子と、2人ができないまま残されました。


 体育の授業が鉄棒から他のものに変わったあとも、私とその女の子は、どちらから言い出すともなく、毎日放課後、校庭の鉄棒で逆上がりの練習をしていました。練習の甲斐あって、2人とも、あともう少し、というところまではこぎつけるようになったのですが、そのあともう少しがなかなかクリアできません。それでも、2人ともやめようとも言い出さず、飽きもせず懲りもせず練習を続けていました。


 ある日、いつものように練習していると、その子が突然びっくりして言いました。「どうしたの? すごい血!」 言われて自分の手を見てみると、両手の親指の内側の皮がむけて、手も鉄棒も血で真っ赤になっていました。でも、不思議と痛みは感じていませんでした。痛くないから大丈夫、という私を、友達が保健室に連れていってくれました。養護の先生は不在で、担任の若くきれいな女の先生が、手当てをしてくださったのを覚えています。今日まで毎日ずっと2人で逆上がりの練習をしていたのだということに先生はとても驚かれて、私の指を消毒しながら、「大丈夫、きっとできるようになる、こんなに一生懸命練習しているんだもの」先生のやさしい言葉に励まされ、私は、先生が言ったんだから間違いない、きっとできるようになる、と信じました。


 ケガが治ったらまた練習再開です。しかし、相変らずできるようにはなりませんでした。ある時、もう1人の子が、突然、くるりと回りました。「できた!」
 もう1回、もう1回。成功です。その子は、ついにできるようになったのです。よかったね、と言いながら、初めて私は、最後の1人になってしまったことに気付きました。


 翌日から、練習は1人になりました。気持ちはいまひとつのらなくなりました。そうこうするうちに、1学期も終わったような気がします。夏休みにも練習を続けた記憶はありません。子供ながらも、自分の中で一区切りつけたような気がします。1学期間、毎日こんなに練習した。でも、できるようにはならなかった。自分が逆上がりできるようになる日はおそらく来ないのだろう。そんなふうな、悟りというか、諦観の念を抱いたような気がします。


 今よりもっと身の軽かった子供の頃さえできなかった逆上がり。ましてや、今後できるようになる可能性は誰が見ても皆無と言えましょう。一生、逆上がりのできる喜びを味わえないまま終わるのかと思うと、ちょっと寂しい気もします。