跳び箱

 2月にあんなに暖かい日があったのに、3月になって却ってこんなに寒いとは。。。真冬の分厚いコートやセーターはそろそろクリーニングに出したいモードになってきたのに、相変らず着続けなければなりません。


 1月は風邪、2月は読書三昧で過ごしたツケが溜まり、仕事にフル稼働で取組まなければならなくなってきました。子供の夏休みの予定表みたいに、日・週・月単位で、したいこと・しなければならないことの予定表を作ろう、作らなければ、と思いつつ、人生がどんどん過ぎていっています。


 前回は、「為しても成らない」逆上がりでしたが、今日は、「為せば成った」跳び箱について。

 ご推察の通り、私は跳び箱も跳べませんでした。もう一生このまま跳べなくてもいいさ、どうせ私には無理さ、みたいにふてくされていた私にチャンスを与えてくださったのが、中学2年の時の体育のM先生でした。先生は、毎日放課後体育館に跳び箱やマットや平均台などを用意し、練習したい人がいくらでも練習できるようずっとついていて下さいました。今にして思えば、放課後、職員会議やら何やらいろんな雑務があったと思うのですが、どのようにやりくりなさっていたのでしょう・・・? 私は、跳び箱にチャレンジしました。跳び箱も3段から6段まで用意されていて、私は3段からスタートしました。低すぎて跳べない、と言い訳したものの、4段や5段も跳べるわけがなく、やはり3段から練習するよう指導を受けました。

 どのくらい練習したでしょう。。。1週間や2週間という甘い期間ではなかったように思います。ある時、いつもなら踏み切り、両手をついた後、お尻がズシンと痛いのに、ふわっと、羽がはえたように、向こう側に着地できました。できた! まぐれではないかと、何回も跳んでみました。やはり跳べました! M先生も大喜びでほめて下さいました。

 その後、さらに練習を重ね、学期中に6段まで跳べるようになりました。M先生は常々、「前から5段跳べた人が5段のままより、跳べなかった人が3段跳べるようになった方を高く評価する」とおっしゃっていて、その学期の私の体育の成績は5段階で「4」でした。これは、私の人生の中で、体育の最高記録です!


 アラ?の現在、またもう跳べなくなっていると思いますが、あの時の喜びは今も覚えています。運動神経ゼロの私にも、できたことはあったというのは、今も支えになっています。