メガネ

 子供の頃は視力両眼1.2を誇っていました。しかし、やめなさいと言われると却ってしたくなるヒネクレ者だった私は、寝転んで本を読むとか、夜真っ暗な部屋で電気スタンドを引き込んで布団の中で読むとか、目が悪くなる所業をやめませんでした。
 案の定、ある年の健康診断の視力検査で、近視を宣告されました。小学校5年の頃だったように思います。私は悪行がバレルかと冷や冷やしていましたが、父が強度の近視だったためそれに似たのだろう、ということでバレずに済みました。同じ頃、私のようなことをしていたとは思えない妹も近視になり(真相はわかりませんが)、私は遺伝の威力に感動すら覚えました。


 子供がメガネをかけるとからかいやひやかしの対象になりがちだったため、気は進みませんでしたが、やむなくメガネをかけることになりました。学校でかけるにはふんぎりが必要でした。ある日、授業中、そっとかけてみました。担任の先生もクラスの子たちも、おや、という表情だけで特に口に出しては何も言いませんでした。母も心配そうに待っていて、何も言われなかったと言うとほっとしていました。


 高校1年の時、友人からコンタクトを一緒に作ろう、と誘われました。メガネをかけなくてもすっと世界が見えるのは確かに憧れだったので、ほいほい一緒に作りました。初めてなのでソフトはこわく、ハードにしました。
 でも、異物感はいつまで経ってもとれませんでした。日の光がまぶしく、目をふだん通りには開けていられない感じでした。今のように使い捨てとか便利なものはなく、清潔に保つためのお手入れも不精な私には億劫で、しかもその最中に行方不明になってしまうこともしばしばで、そのたび高いお金を払ってレンズを買い直さねばならず・・・
 そうこうしているうちに夏が来て、水泳部だった私は、朝練で泳いだあとすぐコンタクトを入れると目がつらく、折角入れてもまた放課後には練習のため外すので、そのあとはもうメガネのまま夜を迎えることとなり、結局、コンタクトとはさよならしてしまいました。わずか3ヵ月ほどのチャレンジだったことになります。
 以後、コンタクトには再挑戦していません。私を誘った友人は、今もコンタクト生活を続けています。同じ時、同じ眼科で始めたのに・・・歩んだ道はこんなにも違ったのでした(大袈裟な・・・)


 不惑を間近に控えた秋、修士論文に取組んでいた私は、やっと使えるようになったパソコンと格闘する毎日でした。目が疲れるのはパソコンのせいだとばかり思っていました。でも、それにしてもあまりに見えにくい。このままじゃ失明してしまう!危機感に駆られ、近所の眼科に駆け込みました。
 「メガネが強すぎるんですよ。車の運転をするのでなければ、そんなに遠くまではっきり見える必要はありません。遠くが見えるようになっているから、近くを見る時、距離を調整しなければならなくて、その距離を調整する筋肉が弱ってきているんですよ。家の中で、読み書きしたりする分には、0.7くらいがちょうどいいんですよ」
 「つまり、老眼ってことですか?」
 「いや、まあ、若い頃は距離の調節をしても筋肉に負担はかからなかったけど、何年も経つとそれが積もり積もって、筋肉も疲れてきてるんですよね」
 「つまり、老眼ってことですか?」
 「いや、まあ、とにかく、若い頃より、距離の調節がしにくくなっているっていうことですね」
 「つまり、老眼ってことですか?」
 「まあとにかく、メガネの度を変えましょう」
5歳年上の夫でさえまだその宣告を受けていなかったのに、ショックでした。


 銀座の某眼科の衛生管理の不徹底が事件になっていますが、そんなことの起こる前、年下の友人から角膜を削る手術を受けた話を聞き、心動かぬことはなかったのですが、「老眼が入るようになると元の木阿弥なんですって」の無慈悲な一言であっけなく夢は打ち砕かれました。近視と老眼がミックスしてもメガネが不要になることはなく、このままずっとメガネのお世話になり続けるのでしょう。