旅の記録 東ティモール編(1)

旅の記録 09.08.25  東ティモール編(1)

 10時25分、デンパサールからディリ行きのジェット機に乗り込む。予想に反してほぼ満席である。外国人らしき人が3割程度、7割は東ティモールの人のようである。外国人らしき人たちは何かの仕事で東ティモールに行くのであろうか。援助関係者だろうか。


 出発前、かなり本気でガイドブックやディリ周辺の地図を探したが、全くなかった。(現地に行って聞いても、そんなものはないと言われた。)そんなわけで、何の情報もなしの初訪問だったので、それなりに緊張して、ディリの空港に降り立った。入国審査を済ませ空港の外に出たところ、案内所も両替所も何もない。ただただ人がごった返していた。こちらとしては、日本にいるうちにホテルに頼んでいたピックアップだけが頼りである。


 ところが、出口周辺をいくら探しても見つからない。一泊110ドルの、当地では名の知られたホテルということなので信頼していたのだが、一抹の不安が当たってしまった。(ロンボクのマタラム空港でも現地NGOのピックアップに振られた。0勝2連敗である。まさかと思っていたが、またかと可笑しささえこみあげた。)二人でうろたえていたところ、カトリックのシスターが声を掛けてくれた。ホテルの名前を告げたところ、有名なホテルなのでどのタクシードライバーでも間違いなく送り届けてくれると私たちを安心させ、一人のドライバーと交渉してくれた。シスターの善意がとてもありがたかった。神に導かれている人の表情はすがすがしく美しいと感じた。凛とした姿勢と慈愛に満ちた眼差しが深く印象に残った。


 こんな苦労をしてホテルにたどり着くと、なんとホテルのボードにはTakahashi Pick Up と明記されているではないか。日本からメールでやり取りをしていたホテルのスタッフのイザベルには、「ごめんなさい!帰りの送りはタダにするから!」と明るく言われてしまった。


 このホテルのレセプションでは、イザベルとロミオがチーフ的な役割を果たしているようである。ロミオが直々に私たちの部屋まで案内してくれたので、まず彼にアグスやその友人たちについて知っているか聞いてみた。ところが彼はアグスのことには関心がなく、ホテルと提携している旅行業者のエクカーションを成立させることにひたすら熱心だった。翌日の移動手段がなくなってしまうと困るので、ともかくロミオに連絡してもらうと、ボスのマニュエルがやってきた。調子の良いお兄ちゃんだった。
彼は私たちにディリ周辺の観光スポットと思しき所について力を入れて説明した。私たちはジトの写真や関係者の連絡先を見せて、これらの人たちを探したいのだが、と言ってみたが、よくある名前だし、ディリの町はとても広いのでこれだけの情報ではわからない、とそっけなかった。小さな町なのできっと見つかると思いますよ、とのアジア・プレスの綿井さんの言葉とは対照的だった。とりあえず、60ドルで観光スポットを回るエクスカーションに乗る、という形で翌日の移動手段を確保した。


 ホテルは大使館街の中にある、ランクとしては相当高いホテルである。シャワーのお湯もしっかり出るし衛生的にもまずまずである。ところが、出かけようと部屋の外からカギをかけてみたところ、なんだかガタガタしている。不安になりそのままドアを開けてみたところ、簡単に開いてしまう。ルームサービスのお姉さんやロミオに訴えたところ、修理係の器用なお兄さんがやってきて、30分ほどかけて鍵の留め金を外し金槌で打ち付け、外からカギがかかるように直してくれた。私たちはホッとして二人に1ドルずつチップを渡した。お姉さんは、ペットボトルの水やタオルなどの追加をすぐさま快く持って来てくれた。


 だが、事態はそんなに甘くはなかった。夕食が終った後、部屋に帰り内側からカギをかけようとすると、なんとカギ穴にカギが入らない!このままでは部屋の施錠ができない! 2度ほどフロントに訴えたが夜のことなので反応が遅い。ようやくやってきた夜の修理担当者がチェックをした。しかし直すことはできず、修理は明日の朝になってからだという。こちらが安全面での不安を訴えたところ、「Don’t worry! ここには泥棒はいないし、このホテルはセキュリティーが完璧なので、心配しないで大丈夫!」と、またも明るく言われてしまった。こちらも仕方なく「信頼しよう。」と言って引きさがった。(結局、カギは私たちが部屋を後にする二日後まで直らなかった。他にもいろいろ交渉事があり、室内からの施錠を訴える優先順位が下がっていってしまったのだ。)


 いろいろなプチ・トラブル(ネコブル)に見舞われながらも、5時からホテル周辺を散歩する。ホテルは海岸沿いにある。東ティモールは騒乱が続いたため禿山が目立ち緑は少ない。しかし、さすがに海は美しい。こんな美しい海を背景にあんな虐殺が次々に起こったと思うと悲しい。ここ2年ほど治安が回復しディリ周辺は落ち着いているという。(国連関係の車がともかく目に着く。国際社会の監視が前提のカッコつきの落ち着きなのだと思う。)ともかくこの国の平和が安定してくれないことにはアグスが浮かばれないと思う。


 ビーチでは魚を焼いて売っている。現地の人たちが夕涼みをしながら食べていた。美味しそうだと思ったが、買って食べてみる勇気はなかった。
ホテルの隣はなんと日本大使館だった。まさかの時にはかけこめると少し気分が落ち着いた。大使館を背景に写真を撮ろうとしたところ、警備員からだめのサインを出されてしまった。


 ホテルに帰ってきたところ、ちょうどロミオが退勤で自宅に引き上げるところだったのでホテル前で一緒に写真を撮った。アグスのことには気がなかったが、私たちのこまごまとしたクレームやお願いにめんどくさがらずに付き合ってくれた憎めないおじさんだった。

 

 私が部屋でカギのトラブルに対応している間に、ワイフがフロントに行き、アジア・プレスの綿井さんから聞いていたアグスの友人たちへの電話をロミオにお願いした。ロミオは快く、マリオ、ジト、ミカの3人に電話をしてくれた。マリオ、ジトにはつながらなかったが、UNDP(国連開発計画)勤務のミカ・バレトさんにはつながった。(東ティモールでは2年ほど前に電話番号が大規模に変わったらしい。ミカさんの情報は最新のものだったので何とか連絡が取れた。)この電話でワイフがミカさんと直接話をする事ができ、この日の仕事が終わった後、ホテルを訪ねてもらえることになった。万歳。貴重な情報を沢山くれた綿井さんに対する義理もこれで少しは果たせる。


 7:20ごろ、ミカさんがやってくる。8時から家族と夕食をとらなくてはならないということだったので、40分弱ほどの滞在だった。ミカ・バレトさんは独立運動に従事した東ティモール人で1999年に語り部として日本に招かれ、JANNIの松野明久さんや古澤希世子さんに付き添われて全国行脚したそうだ。ミカさんはこちらでも有名人のようで、ホテルの中でも大勢の人から声をかけられ挨拶を交わしていた。短い時間だったので、私たちが東ティモールにやってきた理由や私たちとアグスの関係についての説明に時間をとってしまい、ミカさんの知るアグスについてあまり聞けなかったのが残念だった。


 ミカさんにジトとマリオについて聞いてみたところ、古い友人でよく知っているが、しばらく連絡をとっていないので、今の電話番号等は彼女にもわからない、ともかく、次の日、彼らに連絡をする努力をしてみるとのことだった。また、現在、ミカさんは「住民投票10周年」の展覧会に携わっているとのこと。シスター・モニカと言う日本人修道女も一緒とのことで、彼女の連絡先を教えてくれた。ミカさんに、綿井さんから託されたNHKスペシャル英語版「Black September」のDVDをわたす。これは、アグスのジャーナリスト活動と凄絶な死を描いたものだ。ミカさんは、この展覧会でDVDを流したいと言ってくれた。


 室内から施錠できないので、貴重品をすべてセイフティボックスに入れて就寝。気休めに、ドアの前に椅子と洗濯かごとゴミ箱を置いた。