「正しい」情報

  情報が足りない、正しい情報がほしい、という声をよく聞きます。でも、「正しい」情報とは何でしょうか? 「正しい」情報などあるのでしょうか?


  意図的に事実を歪曲しようとするものは除き、それ以外はいずれも「情報」であり、「正しい」か正しくないかを判断するのは自分自身でしかないと思います。


  客観的事実のみの情報というものもあり得ません。膨大な量の情報の中から知り得ることは一部ですし、その中からどこを切り取って情報として伝達するかは、それぞれの立場や価値観といったフィルターによります。一般人であれ、政府や専門家であれ、知り得る量に多少はあるにせよ、すべてを正確に知ることなど神様でない我々人間には不可能です。


  テレビは、主に、被災地の方々が悲しみにたえ前向きにたちあがろうとする姿、互いに助け合い励まし合う姿を映し出そうとしているように思います。政府や専門家は、原発の不安を取り除こうという主旨の発言を繰り返しているように思います。メールでは、そんなきれいごとでは済まない悲惨な状態が報告されています。いずれも、「事実」であり、「正しい」ことに変わりないと思います。


  時が経てば、原子力関係についての政府や専門家の発言が、人々の不安を鎮めよう事態を過小評価もしくは隠蔽していたことが明らかになるでしょう。被災地の様子を煽情的に伝える暴露本的なものも現れるでしょう。


  どの情報が100%正しい、ということはあり得ないと思います。各情報に含まれる「事実」「信憑性」を測り、知り得た情報が全体像ではあり得ないことを自覚し、そのうえでどのような「判断」をするかは、1人1人のなすべき仕事であると考えます。