内容と形式

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします


年末、敬愛するクロダリュウノスケ先生による
レポート・小論文の書き方に関する本を読み、
ガツーンとやられています。。。
形式に拘泥した指導をしてきてしまったあまり、
内容がつまらなくなっているのは、
そのような指導をした教師のせい。。。
もっともです。


すぐれたレポートは、読んでいて、形式など気にならないのですよね。
内容にぐいぐいひきこまれます。
逆に、不合格にするものは、内容・形式ともに、あちゃ〜というものが多いです。
個々人にコメントを返す場合は、内容・形式両面について述べられますが、
クラス全体にレポートの書き方指導をする場合は、
内容は、個々人の思考ですので、指導するわけにいかない。指導できない。
指導しやすいのは形式面になってしまうわけです。
段落を変える時は最初の1字分を空けること(守られていないレポートが結構多いです)とか引用のしかたや参考文献の示し方はああだとかこうだとか、
全体の構成方法だとか。
しかし、そういう指導をした結果、
どれも似たり寄ったりの可もなく不可もない文章ばかり
学生たちに量産させることになっています。


日本留学試験で記述問題が導入される以前は、
留学生の作文はとても奇抜で面白いものが多かったです。
お国柄がよくあらわれていて、
例えば、中国の学生は故事成語が好きで、
必ず友人や家族に出題内容に関する経験者が登場するし、
最後は「豊かな社会のために皆さんがんばりましょう!」と力強く締めくくられる。
最初に、教員あての挨拶や自己紹介を礼儀正しくしてから、本題に入る学生も少なくありませんでした。
ところが、記述問題導入後は、そういうユニークな発想はかげをひそめ、
似たり寄ったり、可もなく不可もなく、優等生的解答だけどおもしろくも何ともないものが圧倒的多数になりました。
日本の高校生の作文も、大学入試への小論文導入以後、見事に画一化されました。


そういう経験がいくつもあったにもかかわらず、
今また、画一的レポートの形式に拘った指導をしている我が身を、
深く反省させられた年末でした。


はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)