旅の記録 東ティモール編(2)

旅の記録 09.8.26.―01 東ティモール編(2)


 カギなしの一夜が無事明けた。ホッとして朝じたくをして、セーフティ・ボックスから貴重品をとりだそうとした。ところが今度はセーフティ・ボックスが開いてくれない。まずい! なんとパスポートから航空券、クレジット・カードから現金と全ての貴重品を入れてあるのだ。イザベルに訴えたところ ”Empty?” とこともなげに聞く。大袈裟な身振りで、”No, all of our money! Passports and air tickets!” と危機感を高揚しようと訴えかける。修理係が出勤したらすぐ派遣する、とイザベルは言ったが、案の定誰も来ない。今度はロミオに訴えたところ、昨日の修理担当のお兄さんが来てくれた。するとこのお兄さんは、私たちに暗証番号を聞きもせずあっという間にセーフティ・ボックスを開けてしまった。昨日打ち込んだ暗証番号は一体何だったのだろう???


 9:00にマニュエル配下の運転手パウロが迎えにやってきた。口数少なく誠実な人物のようである。しかし、マニュエルからモデル・プランをあまり踏みはずはないよう言い含められているらしい。ジトやマリオの住所を見せてもシスター・モニカのことを聞いてもあまり答えてくれずに、ただマニュエルから渡された行程表だけを見ながら案内をしてくれた。


 まず、最初にディリ市内のカテドラルに行った。ここは当初マニュエルのプランには入っていなかったのだが、教会関係のところに行けばアグスを知る人に会えるかもしれないと思って入れてもらった。ところがカテドラルは建設中でそこにいるのは建築労働者ばかり。労働者たちに聞くと神父様やシスターは誰もいないという。将来的に観光名所の一つにしようとしているのだろうが、その石造りの大伽藍は今のディリには不釣り合いのように感じた。


 カテドラルの様子に少しがっかりして、周りを少し歩いてみたところ、向かい側で若者たちが植樹のボランティアをやっていた。青年たちを見守っている老人がいたので話しかけてみた。すると、彼はホセ・アントニオと言う神父様で、シスター・モニカのことを良く知っていて、彼女の居場所について情報を提供してくれた。アグスの写真を見せると、1999年のことだとすぐ答えた。どうやら教会関係者の中にはアグス・ムリアワンの記憶はしっかり刻まれているようである。後でシスター・モニカから伺った話によると、ホセ・アントニオはカトリックの司祭という立場で東ティモールの人々とインドネシア側の間に立ち、言いようのない苦労をした人だという。外にいる我々には伝えられていない東ティモール独立にまつわる影の一面であると思う。今度お会いできたらホセ・アントニオからそのあたりのお話を伺いたいと思う。 
 

 次に訪れたのは「東ティモール抵抗博物館」である。部屋は三つでインドネシアに軍事占領されてから独立に至るまでの歴史についての解説資料、ファリンテルの戦闘服や武器等が展示されている。また、博物館内に設置されているパソコンに独立に至るあらゆる文書が年ごと種類ごとに分類され公開されている。この国の歴史を研究する人にとっては貴重な史料の宝庫であるに違いない。展示を見終わった後、博物館の係員にアグス関連の写真を見せた。係員の一人、ヴェナンシアさんは、アグスが亡くなった地の近くの都市ロスパロスの出身で、アグスとも面識があると言っていた。また、アグスの葬式の写真を見せると、マザー・エルメリンダ、ジョジョ司教なども周知の間柄ということだった。現在、ジョジョ司教はフィリピンに戻られたが、マザー・エルメリンダは今もロスパロスにいらっしゃるということだった。


 午前中の最後はオールド・マーケットだった。ディリ中央を少し外れた一画にある。周りを塀で囲まれていた。他の国の同種のマーケットと同じように米、肉、魚、野菜、コーヒーなどの食材や、衣料、雑貨などのあらゆる生活物資は雑然と売られていた。やり取りをしているのは現地の人がほとんどで、観光客などはあまり見当たらない。こちらとしては何を通貨として使っているかに関心を持って取引を観察する。カップで計った米やコーヒーの対価として渡されていたのはよれよれになった米1ドル札であった。前の日に空港に両替所がないので仰天したが、どうやらこの国は自国の通貨を持っていないらしい。独立からまだ7年目でしかも騒乱続き、113万人という少ない人口などからして、自国独自の通貨を印刷し流通させることは想像以上に難しいことなのだろう。しかし、米ドルという外貨に頼っていることは、経済運営にも先進諸国にはわからない深刻な苦労があるに違いない。

 

 前日、マニュエルは「ランチには和食がいいか?洋食がいいか?」みたいなことを聞いてきた。私たちは、折角東ティモールに来たのだから伝統料理を食べたいと答えた。そこでマニュエルが選んだのがエルリというレストランであった。食堂を取り仕切るおばさんがやさしいしっかり者でうろうろしている私たちにショーケースに並んでいる料理を自分で選ぶバイキング形式であることを身振りを交えながら教えてくれた。海に近いだけあって魚が豊富である。おばさんの勧める魚料理二つと野菜を選んで食べたが、味付けもさっぱりとして口に合った。その上、料金は2人分で2ドル50セントという安さ。おばさんの好感度もあり、1ドルのチップを席に置いて店を出た。


 午後は、ディリの東側にあるクリスト・デイ、西側にあるアンババに連れて行かれた。クリスト・デイにはキリスト像、アンババにはヨハネ・パウロ2世の像が建てられている。どちらも巨大だ。両方とも海の景観と合わせて観光名所にしようとしている様子がうかがえる。クリスト・デイの方は、海辺沿いにオリエンタルな雰囲気のリゾート施設らしきものが作られていた。この地域は入り江になっていて、ゆくゆくはバリのヌサ・ドゥアのような外国人向け・高級リゾート地を目指しているよう見え、居心地が悪かった。一方、アンババの方も景観は素晴らしいにしても、ヨハネ・パウロ2世像の周りにもそばに建設されているチャペルにも現地の人たちがほとんどいない。如何に外国人が集まる景勝地であっても、そこに住む人たちと交流できないようなところは私たちにとって魅力はない。


 最後に織物のマーケットに連れて行かれる。派手な客引きはなく、観光地らしく脚色したものもあまりない。今回の旅行では観光地のようなところにほとんど行っていないので、お土産の類を全く買っていない。素朴だがしっかりと織りあげられた織物を何点かかってここを後にした。


 運転手のパウロは、ボスのマニュエルの指示を忠実にこなしとりあえずほっとしたようであった。でも、時間はまだ1:30を少し回ったところ。4時までにホテルに戻るという約束なので、まだ時間はある。パウロにもう一度博物館に行ってくれとお願いしてみた。答えはOK。綿井さんから預かった「Black September」のDVDを1枚ヴェナンシアにも渡すことにした。博物館を再訪しDVDを手渡して説明したところ、一同喜んでくれた。
この後、ホテルに帰着。2:00だった。予定より随分早いので、ロミオがびっくりして飛んできた。そして、午後の車の手配をしようかと聞いてきた。