お電話番号

後半部スクーリング受講生の皆様


本日はお疲れ様でした。
宿題にさせていただいた「お電話番号申し上げます」はなぜおかしいのか、
突然わかりました。脳細胞の動きが遅く、失礼しました。
1週間覚えていられるかどうか自信がないので、ここに書いておきます。


接頭辞「お」が謙譲語として機能し得るのは、
「先生へのお手紙」「社長へのお返事」のように、
<行為の向かう先>がある時、すなわち、立てる対象がある時です。
「お電話さしあげます」がOKなのは、
この「電話」はモノとしての電話機ではなく、電話をかけるという行為で、
向かう先、対象があるからです。


ところが「電話番号」にはありません。


なあんだ、そんなことがわからなかったのか。。。と今になると思いますが、
分からない時はそういうもの? いずれにせよ、申し訳ありませんでした。
m(__)m


なお、来週は教室が今日とは違いますので、ご注意ください。
6号館2階の6206です。
本日作成の名札を忘れず御持参ください。
課題4もぜひ考えてきてくださいね!

自分にできること

 明日から後半部スクーリングです。皆さん、どうぞよろしくお願いします。


 国会周辺に行きたい気持ちはもちろんありますが、それより、明日からに備え、体力温存に努めています。前半部初日は、風邪で皆さんにご心配おかけしてしまいました。教員の仕事の第一歩は、まずは元気で教室に行くこと。実りある授業をできるかどうかはその次のステップです。友人たちが何人か行っているので、私の分もお願いね、と託しました。


 来年、年明け早々、太陽光発電を導入します。国と市から補助金が出ますが、スズメの涙。余ったら売電云々、と業者は説明しましたが、それより、原発への依存度を少しでも減らしたくて。1軒1軒の太陽光での発電量は原発1基と比べればほんのわずか、逆らおうなんて蟷螂の斧かもしれない。
 でも、下記の本によれば、山手線の内側(65平方キロ)を太陽光パネルでしきつめれば、原発1〜8基分の発電が可能、日本の面積の1%に設置しただけで原発100基分が可能、という。
 日本に未使用の屋根がどれだけあるか、日当たりの良い土地、自由になる屋根、設置できる経済的余裕、この3点に恵まれた者はその幸運を自覚し、行動する責務がある。
 このくだりを読んで、あっというまにその気になってしまいました。せめて、自分たちが使う電力だけでも、自分たちで作りたい。
 

 再稼働のときも、輸出をたくらんでいることが明らかになったときも、反対のデモ(テロじゃないよ)に行きたかったけれど、行けなかった。今回の法案も。でも、その代わり、できることをやっていきたい。唯々諾々と流されるのでなく、あの時、自分は、このように考え行動した、と言えるよう生きていきたい。この先、どんな社会になろうとも。

この国で起きている本当のこと

この国で起きている本当のこと


 

介護

 8月に入り、ようやく介護関係の本を手当たり次第読むことができるようになりました。7月中は、自転車操業で仕事をこなすのに精一杯で、全く余裕がありませんでした。

 6月末、母が倒れ、近所の方が気付いて下さり、救急車で即入院。発見されるまで長時間同じ体勢で横になっていたため体重がかかった側の体の組織がこわれ、それが腎臓などに入らないよう点滴で流し出す、という治療が行なわれました。で、血液検査の結果、その危険が去ったと見るや、入院して1週間の7月はじめに、「遅くとも今週中に退院してください」。そんな〜! まだ一人で歩けないし、トイレもお風呂も私一人では無理だよ〜! 春学期はまだあと1カ月あるし〜! 話には聞いていたけれど、病院てこんなところだったんだ。。。 でも、空室がないとかで差額ベッドに入れられているから費用面の問題もあり、リハビリは1日わずか30分であとはずっと寝かされきりにされていると、本当にこのまま寝たきりになってしまうし、こんな病院(あえて実名を書きます。横浜にある戸塚共立第2病院です。救急病院だけど、ここには2度と搬送されたくありません)は早く出るほうがよい、ということで、たまたま見つかった小規模多機能居宅型云々という介護施設にしばらくお願いできることになりました。そこでは、即おむつも外し、トイレに行けるようヘルパーさんが一人一人ついて歩かせてくれ、母は見る見るうちにトイレはおろか、階段ののぼりおりも一人でできるようになりました!


 介護をめぐる社会体制について、言いたいことはいっぱいあって、時間も足りず、今日はこんなところまでしか書けませんが、手当たりしだい読み漁った介護本の中で、1番役に立ったのは下記のものです。ハウツー的に役に立ったというのではなく、介護について考えるうえで。

老いる準備 介護することされること (朝日文庫)

老いる準備 介護することされること (朝日文庫)

第11回対照言語行動学研究会のおしらせ

みなさま 

本研究会では、第11回研究会を下記のように開催します。言語学日本語教育学の分野でご活躍の庵功雄氏を講師にお迎えし、講演と参加者全員での討議を行います。さらに、言葉についての諸分野の研究者の交流の場となるよう研究発表を募集します。奮ってご参加ください。

◎テーマ 「日本語の理論的分析と教育」
日常的に使われている日本語表現の中にも、分析が不明確・不十分だったり学習者に活用方法を示せずにいたりするものがある。その具体例を取り上げ、理論的分析と教育法の現状および問題点を明らかにし、両者を突き合わせ検討することによって、それぞれの深化と新たな展開を図る。

[日時] 11月23日(土・祭)午後1:30〜5:00 [1:00開場・受付開始] (懇親会:5:30〜7:00)

[会場] 恵泉女学園大学 http://www.keisen.ac.jp/about/campus/access.html 京王線小田急線・多摩モノレール線「多摩センター」駅からスクールバスで8分

[内容]
1 講演:庵 功雄講師(一橋大)
「理論的研究と日本語教育の接点を求めて ―「のだ」の教え方を例に―」
2 全体討議
3 研究発表 ※下記応募要領をご参照ください。

[参加費(資料代・バス代を含む)] 1,000円(学生500円)、[懇親会費] 4,000円(学生3,000円)(予定)

[参加申し込み]ご氏名、所属、専門領域、連絡先(メール)、本情報の入手先、懇親会へのご出欠の6点について
志賀里美sashiga@keisen.ac.jp宛てメールでお知らせください。 [ご注意]出席申込メールご送信後、1週間以上たっても受付メールが届かない場合は、メール事故などの可能性があるため、お手数ですが再度お申込みください。

※[研究発表応募要領] 
○テーマ:対照言語行動に関するもの、その他、言語・日本語・日本語教育に関する様々なアプローチによる、対照研究、学際的研究等を広く募集します。
○発表形式 口頭内容紹介(各約3分)→ポスター発表。発表者多数の場合は口頭内容紹介を省くことがあります。発表後、要旨を本研究会HPに掲載します。
○応募要領
・ワードファイルに、題名、キーワード3語、要旨[結論及びそこへの道筋につき端的にまとめたもの] (以上、計400字以上、500字以内)、参考文献・資料名(制限字数外)のみをご記入ください。
・メール本文に氏名、所属、メールアドレスを記入し、上記ワードファイルを添付して応募してください。
件名は「2013対照言語行動学研究会発表申し込み」としてください。
応募先:氏家洋子ujiie@post.ndsu.ac.jp・秋元美晴makimoto@keisen.ac.jpの両方にお送りください。研究会の参加申し込みとは宛先が異なりますのでご注意ください。
○応募期限:2013年8月31日(受信通知を9月5日迄に送信します)。採否は9月下旬にご連絡します。

以上、ご案内申し上げます。(本メールの転送歓迎、どうぞよろしくお願いします)

研究会HP:http://www.ryu.titech.ac.jp/~nohara/taishogengokoudou/index.html

世話役:秋元美晴・志賀里美・山田昌裕(恵泉女学園大)・氏家洋子(ノートルダム清心女子大)・高橋圭子(東洋大)・野原佳代子(東工大)



後半部スクーリング補足や訂正

 現代語文法後半部連休3期スクーリングが無事(?)終了しました。ご出席の皆様、アツイ議論、どうも有難うございました。疲れましたが、楽しかったです!


 さて、いつものことながら、補足やら訂正やらです。


 授受表現プリントp111の7番。「祖母が迎えに来てくれました」、上品なおばあさまなら「くださいました」でもいいような気がする、と口走ってしまいましたが、いえいえ、やはりここは「くれました」です。家庭内なら「おばあさまが迎えに来てくださいました」でOKですが、ここではソトへの「祖母」という語を用いているのですから、述部もやはり「くれました」にするのが(いわゆる)正解です。


 それから、「日本語の海へ」第6回がファイルに入っていませんでした。すみません。昨日、講師室の忘れ物置き場で無事発見されました。ご希望の方、メールでご連絡ください。


 

カイゴ

 今月初め、義父が何度も救急車で病院へ運ばれ、処置していただくと治まるので帰宅するのですが、また苦しんだり具合が悪くなったり、1日に2度も3度も救急車、という日々が1週間続き、つきそう義母もへとへと。。。ようやく先週入院し、すぐさま手当てを受けられる環境に入りほっとしました。

 
 退院するとまたすべての世話が義母の手にかかってくるため、少しでも何とかならないかと、介護認定の申請をするよう働きかけ、義母も希望しているのですが、肝心の本人がそんなものいらない、大丈夫だ、と、頑として同意してくれません。


 できないことが増えている、衰えている、老いている、というのを認めるのがつらい、その気持ちは痛いほどわかります。要介護と認定されてしまったが最後、一人ではもう生活できないんだよ、人に助けてもらわなければいけないんだよ、と宣告される気分なのでしょう。
実母に介護認定申請を同意させるのも大変でした。


 でも、それが人間の尊厳、誇り、プライドなのだと思います。だから、それをそこなわぬようなネーミングがほしいと思います。「要介護」なんて、ミもフタもない。抵抗するのは当然です。


 あと、義父のケースも実母のケースも、思うのは、この制度を必要とする可能性が最も高い高齢者のみの家庭に、この制度についての情報がちっとも行き渡っていないこと。「地域包括ケアプラザ」に連絡して担当の「ケアマネージャー」を決めてもらって。。。と言われても、区役所や保健所ならわかるけど、「地域包括ケアプラザ」って何?どこにあるの?電話番号は? 
  回覧板に、地域担当ケアプラザからのお知らせがはさんであるけれど、なぜそれがはさまれているのか、わからない。「この回覧がまわっている地域に住む皆さんの担当は、当ケアプラザです。介護認定について質問や希望がある場合は、当ケアプラザに連絡して下さい」という1番肝心な情報がどこにも書かれていないのです。
 夫の実家の場合は、近所にケアプラザが2軒あり、住所でそのうち一方が担当になっているということがHPを検索して初めてわかりました。私の実家の場合は、区役所に教えてもらった担当ケアプラザは、直線距離では近いのですが、JRの線路を渡って急な上り坂を上った先で、バスもなく、自宅に車がなければ到底縁のない地域にあります。

介護保険は老いを守るか (岩波新書)

介護保険は老いを守るか (岩波新書)

クニというかいぶつ

 さまざまな議論がある問題については、どれか1つの意見のみを紹介するのではなく、代表的なものを均等に取り上げ紹介する、というのが、実態はともあれタテマエとしての、報道や教育の「中立」というものではなかったのでしょうか?


 9月の3連休、脱げんぱつスタディツアーに福井へ行きました。敦賀、美浜、もんじゅ、大飯を見学してきました。げんぱつについて賛否両論あるのは明らかなのに、学校の遠足でPR館に行っているということです。福島のげんぱつで電気を作っていたのは東北電力ではなく東京電力ですが、福井のげんぱつで電気を作っているのも北陸電力ではなく関西電力、まるで同じ構図です。


 I氏がポケットマネーで土地を購入するのなら勝手ですが、彼の短絡的発想によるパフォーマンスがこんな事態をひきおこしています。そもそも「領土」とか「国民」というのは近代になって発明された装置にすぎない、というのは、アンダーソンの『想像の共同体』などに説かれている通り、常識に属す事柄です。古代のローマ帝国フランク王国大和朝廷などの版図には明確な国境線なんてひかれていないのですから。「固有」とはどういう意味なのか、誰もその意味を明確にしないままテレビは連呼しています。日ごろの政治や社会の分析・評論ではなかなかいいこと言うなあ、と思っていた人たちも、「我が国固有の領土であることは当然として」、しかし何とかできないか、という発言ばかりです。もともとどっちの領土でもないんだよ〜、なんて言ったら「非国民」扱いなのでしょうか。言論や思想の自由なんて、「国策」の前では吹けば飛ぶようなものだったのですね。なさけないです。


 げんぱつの立地地元でも、住民が寝耳に水で知らされた時には、首長やら議会やらはすっかりもうかためられていたそうです。我が家の前の国道拡張工事の時もそうでした。町内会の役員たちは建設省(当時)にたくさんお土産をもらい、工事を承諾していました。我が家が疑問の声を上げると、国道事務所のお役人が手土産を持っていきなり自宅にやって来ました。


 おそろしい。。。なさけない。。。

ニッポンの国境 (光文社新書)

ニッポンの国境 (光文社新書)